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後半途中に負傷交代した久保建英の状態は?(8枚)「×」のサインを出すMF久保建英


雑音にも動じずピッチで輝く17歳…久保建英が2ゴール演出(12枚)2ゴールに絡んだMF久保建英

長友、5試合ぶりベンチ入りも復帰はお預け…チームもドローで首位に迫れず長友の復帰はお預け

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長友の復帰はお預け
[4.14 トルコ1部第28節 フェネルバフチェ1-1ガラタサライ]

 日本代表DF長友佑都の所属するガラタサライは14日、トルコ・スーパーリーグの第28節でフェネルバフチェと敵地で対戦し、1-1で引き分けた。

 前半終了間際に相手が退場者を出したことで数的優位で後半を戦ったガラタサライは、後半21分にFWヘンリー・オニェクルのゴールで先制。しかし同26分に同点弾を浴び、ドローに持ち込まれてしまった。

 前日、MF香川真司の所属するベシクタシュが首位を独走するバシャクシェヒルを撃破。ガラタサライは勝てば勝ち点3差に詰め寄るチャンスだったが、勝ち点差は5。逆に3位ベシクタシュとの差は3となった。

 なお、後十字靭帯の損傷のために離脱していた長友は、2月24日のアクヒサル戦以来、リーグ戦5試合ぶりのベンチ入り。しかし出番はなく試合を終えた。

●海外組ガイド
●トルコ・スーパーリーグ2018-19特集
●香川、長友の試合も!!“初月無料”DAZNでライブ配信中

平成の日本サッカー史、その知られざる舞台裏をJFA元会長が解き明かす平成の日本サッカー史、その知られざる舞台裏をJFA元会長が解き明かす

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平成の日本サッカー史、その知られざる舞台裏をJFA元会長が解き明かす
 平成の日本サッカーを振り返り、知られざるストーリーを描いた『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』(小倉純二著)が講談社より発売中だ。

 かつては閑古鳥が鳴いていたサッカースタジアムを、プロ化、国際化で超満員にした立役者が語る「あの日、あの時」。平成とは、日本サッカーが奇跡の躍進を遂げた30年だった――。

 国際派サッカー人であり、日本サッカーのプロ化、国際化を牽引した日本サッカー協会元会長によるオーラルヒストリー。時代の変化に対応したプロ化(Jリーグ発足)、国際政治案件であるワールドカップの自国開催(2002日韓ワールドカップ共催)を成し遂げた舞台裏が今、解き明かされる。

▼目次
まえがき 平成とサッカー
第一章 平成の大事業 プロリーグを作る
第二章 平成前史「昭和サッカー」覚え書き
第三章 1993年 Jリーグ開幕とドーハの悲劇
第四章 1998年 仏W杯予選の舞台裏
第五章 2002年 日韓ワールドカップ開催
第六章 2011年 女子W杯ドイツ大会なでしこ優勝
第七章 社会インフラとしてのサッカー
第八章 黒いワールドカップ FIFAスキャンダル
第九章 平成サッカー人からの遺言状
あとがき
年表 日本サッカー平成時代の歩み

<書籍概要>
■書名:「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた
■著者:小倉純二
■発行日:2019年4月13日(土)
■判型:新書版・288ページ
■価格:920円(税別)
■発行元:講談社
■購入はこちら

小倉純二(おぐら・じゅんじ)
1938年、東京都生まれ。62年、早稲田大学政治経済学部卒業、古河電工業入社。81年から6年間は同社ロンドン駐在員事務所長に就き、日本サッカー協会(JFA)の国際委員としても活躍。帰国後同社サッカー部部長を務めた。88年には日本サッカーリーグ(JSL)第2次活性化委員会委員長としてプロ化を推し進め、Jリーグ発足の礎を築く。その後、日本サッカー協会の国際委員会委員長、同専務理事、同第12代会長、アジアサッカー連盟(AFC)理事、国際サッカー連盟(FIFA)理事、東アジアサッカー連盟(EAFF)会長などを歴任。その間、2002年FIFAワールドカップ日本招致、11年FIFA女子ワールドカップドイツ大会優勝など、日本サッカーの国際化と活躍を牽引した。現在、日本サッカー協会最高顧問。

ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯日韓共催…今、明かされる平成サッカー史の舞台裏「ドーハの悲劇」は1993(平成5)年の出来事だった

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「ドーハの悲劇」は1993(平成5)年の出来事だった
 日本サッカーのプロ化の動きは、まさに「平成」の時代とともに本格化した。1993(平成5)年にJリーグが誕生。同年秋には「ドーハの悲劇」によりW杯出場をあと一歩のところで逃すが、1996(平成8)年のアトランタ五輪でブラジルを破る「マイアミの奇跡」を起こし、1997(平成9)年には「ジョホールバルの歓喜」で悲願のW杯初出場を決めた。

 初のW杯出場となった1998(平成10)年のフランスW杯。翌1999(平成11)年にはU-20世界ユース選手権(現U-20W杯)で準優勝の快挙を成し遂げ、その黄金世代が2000(平成12)年のシドニー五輪でベスト8、2002(平成14)年の日韓W杯で初のベスト16進出を果たした。2011(平成23)年にはなでしこジャパンが女子W杯で初優勝。2012(平成24)年のロンドン五輪では男子が44年ぶりのベスト4進出を果たし、女子は初のメダルとなる銀メダルを獲得した。W杯には2018(平成30)年のロシアW杯まで6大会連続出場。まだアマチュアだった平成当初は夢のまた夢だったW杯に当たり前のように出場し、アジアでは勝って当然と思われるまでに日本サッカーは平成とともに成長してきた。

 そうした平成の日本サッカーを振り返り、知られざるストーリーを描いた『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』(小倉純二著、講談社刊)が4月13日に発売された。著者は第12代日本サッカー協会(JFA)会長であり、現在はJFA最高顧問の小倉純二氏(80)。1994(平成6)年から2011(平成23)年までアジアサッカー連盟(AFC)理事、2002(平成14)年から2011(平成23)年まで国際サッカー連盟(FIFA)理事、2010(平成22)年から2012(平成24)年までJFA会長を歴任し、日本サッカーのプロ化、国際化を牽引してきた。Jリーグ発足の礎を築き、2002(平成14)年W杯の日本招致(韓国との共催)を実現した立役者がその舞台裏を今、解き明かす――。

「ドーハの悲劇」を経て…
アジア予選 セントラル方式からの転換

インタビューに応じる日本サッカー協会最高顧問の小倉純二氏

“ フランス大会の最終予選をホーム・アンド・アウェー方式にすることは、すんなり決まったわけではない。
(中略)
 1次リーグ突破のめどが立ったころ、監督の加茂周さんとコーチの岡田武史に「最終予選はどういう形でやりたいか?」と尋ねた。AFCは前回の米国大会最終予選と同じく、どこか一ヵ所に集まって一気に片をつける「セントラル方式」を最優先に考えている、という情報をつかんでいた。
 加茂監督の答えは「もう中東でやるのは嫌ですね」だった。どの国に行くにしても日本からは長旅になるし、時差もある。気候条件も日本の選手に合っていないと。前年、アラブ首長国連邦(UAE)で行われたアジアカップで連覇を狙った日本はベスト8でクウェートに0-2で敗れた。その苦い記憶も多少は影響したのかもしれない。加茂監督はセントラル方式でやるのなら「東南アジアのほうが断然いい」と希望した。岡田コーチは「香港なんかどうですか?」と意見を添えた。
(中略)
 ところが、日本を発つ前にFIFA本部にいる友人からとんでもない情報がもたらされた。サウジのアルダバルというAFCコンペティション委員会の委員長が「アジアの最終予選はバーレーンでやる」と触れ回っているというのだ。私は同委員会の副委員長であり、委員長の意見を否定するのは難しい関係にあったが、さすがに黙っているわけにはいかなかった。
 怒った私は、ただちに韓国と中国の協会関係者に電話して「ともかくこれは問題だ」と訴えた。「バーレーン開催なんて、われわれに不利に決まっている」と。この闘いに勝つには東アジアだけでは数が足りない。ウズベキスタンとカザフスタンも仲間にすべく連絡を取った。「あんな暑い国で戦わされたら、おたくらも死ぬぞ」と。
 韓国と中国はすぐに同一歩調を取ることを約束してくれた。「この件はミスター・オグラに任せます」と。ウズベキスタンは私への賛同を書面にまとめてくれた。カザフスタンも味方についてこれで5票。会議の前の晩にチューリッヒに着いた私は韓国、中国、ウズベク、カザフの代表者を集め、連判状のような形式で「アジアの最終予選はAFCの本拠地があるマレーシアで」という最終案をしたためた。それを翌日の会議の前にワールドカップ組織委員会に提出したのだった。
 会議の冒頭、委員会のヘッドであるレナート・ヨハンソン委員長(当時)が「私は昨日、オグラからこういう提案をアジアの総意としてもらっている。異議はありますか」と出席者に問うた。するとサウジのアルダバルが「そんなのは総意でも何でもない」と猛然と反論した。向こうはアルダバルの下でまとまり、西アジア勢も5票だから多数決を採るとまったくの五分。完全に両すくみの状態だった。
 私とアルダバルのやり合いは延々、平行線のまま、どちらも折れる気配はみじんも見せない。埒が明かない議論に頭に来たのがヨハンソン委員長だった。
「君らはいつも『アジアは他の大陸連盟と違って皆、仲がいい』と言っているが、実際は全然違うじゃないか」とテーブルを叩かんばかりに怒った。そして「もう、おれは帰る。この議論はここで終わり。最終予選はバーレーンでもマレーシアでもなく、完全ホーム・アンド・アウェーでやってもらう。これが予選本来の形なのだ」と結論を出したのだった。”

(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第四章 1998年 フランスW杯予選の舞台裏より)

―今では当たり前になったW杯アジア予選のホーム&アウェー方式ですが、1998年フランスW杯の最終予選から初めてそれまでのセントラル方式に代わって採用されました。それだけアジアのサッカーは欧州などに比べて遅れていたということなのでしょうか。
小倉 当時のアジアはお金持ちの国とそうでない国が極端に分かれていて、お金のない国にしてみればセントラル方式のほうが楽なんですね。招待してもらえますし、短期決戦で終わるので、何度も何度も遠征する必要がない。でも、本来はそうじゃない。FIFAのルールは原則としてホーム&アウェー方式ですし、欧州も南米も当然、ホーム&アウェー方式でしたが、アジアだけが違ったんですね。貧富の差が激しかったということも影響していたと思います。

―フランスW杯のアジア最終予選も当初はセントラル方式を想定していて、西アジア勢はバーレーン開催、東アジア勢はマレーシア開催を主張し、どちらも折れなかった。その結果、ホーム&アウェー方式が誕生したというのは面白いですね。
小倉 マレーシアでやりたいという日本の主張に対して、もしもサウジアラビアがオーケーと言っていたら、それで済んだ話だったんですね。もしそうなっていたらホーム&アウェー方式ではなく、セントラル方式で行われていたと思います。しかし、向こうはバーレーンを主張して、日本の主張とは差があり過ぎました。

あと一歩のところでW杯出場を逃した「ドーハの悲劇」

―日本がマレーシア開催を主張したのは、セントラル方式だった1993年のアメリカW杯最終予選の経験があったからでしょうか。中東のカタールで開催され、いわゆる「ドーハの悲劇」により、あと一歩のところでW杯出場を逃しました。
小倉 当時のオフト監督は東南アジアのこともよく知っていて、逆に東南アジアのほうが中東よりもグラウンドの状態が良くないと思っていたんですね。欧州の人間からすると、中東は地理的にも欧州に近いというのもあったのかもしれません。サッカーの環境としては東南アジアより整っていると考えていたんだろうと思います。しかし、あの暑さの中で、しかも短期間の連戦で明らかに日本選手は疲弊していきました。フランスW杯予選の途中で当時の加茂監督に「最終予選がセントラル方式になるならどこでやりたいか」と聞いたら「マレーシアでやりたい」と。それがサウジアラビアの主張とぶつかって、ヨハンソン委員長を怒らせたというのが実情です。でも、今となれば、それで良かったなと。今ではアジアのどの国もホームゲームを重要視するようになりました。日本だけでなく、中国でも韓国でもサウジアラビアでも、ホームゲームにたくさんのファンが押し寄せ、サッカーがどんどん盛り上がっていくようになった。偶然の産物とはいえ、これはアジアのサッカーにとって大きな変化でした。

「ジョホールバルの歓喜」
意外な開催地決定までの舞台裏

岡野雅行のゴールデンゴールで初のW杯出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」

“ 先に仕掛けてきたのはアルダバルだった。FIFAがAFCの意向を「どうする?」と問い合わせたところ、コンペティション委員長のアルダバルがまたも「場所はバーレーン」と言い出したのだった。そしてそのことを私には内緒にしていた。
 最終予選の方式を巡ってアルダバルと私が激しく対立したことを覚えていたFIFAは私に「アルダバルがこんなことを言っているが、これはオグラも了解していることなのか」と問い合わせてきた。「知らないよ! そんなこと!」と私はまたまた怒り心頭。すぐにチューリッヒに飛んでFIFAのブラッター会長に直談判に及んだ。
「第3代表決定戦の相手がサウジ、イランのどちらになるにしろ、バーレーン開催はあり得ない、移動のハンディが違いすぎる。やるなら、3ヵ国の中間に位置するマレーシアしかあり得ない!」
 するとブラッター会長は「それは、オマエの言うことがもっともだ」と認めてくれて「じゃあ、場所決めはオマエに任せるよ」とまで、その場で言ってくれた。
 私はFIFAからすぐにマレーシアサッカー協会のポールモニー専務理事に電話をかけた。こういうとき、電話でも頼める仲間がいるというのはありがたいことだ。そういう関係を普段から築いておくことが大切ともいえる。
 喜び勇んで「クアラルンプールで第3代表決定戦をやらせてくれ」と頼んだら、ポールモニーは「うーん、それは無理かもしれない」と意外なことを言う。第3代表決定戦の日付は11月16日と決まっていたが、「その日はマレーシアカップがある日だから、空いているスタジアムがない」と。クアラルンプールなら幾らでもスタジアムはあると思っていたが、マレーシア国内の日程まではこちらは把握していなかった。
 ポールモニーは「第3代表決定戦の日程を1日前か後にずらしたらどうか。それならクアラルンプールでやれるよ」と言ってくれたが、もう11月16日とアナウンスしている以上、その日付を変えられないというのがFIFAの考えだった。それで、もう一回、ポールモニーに電話して「どこか本当に空いてないか?」と尋ねたら「あそこが空いている」と推薦してくれたのがジョホールバルだった。”

(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第四章 1998年 フランスW杯予選の舞台裏より)

―フランスW杯予選ではアジア第3代表決定戦の開催地がマレーシアのジョホールバルに決まったのも偶然の産物でした。当時のアジア枠は3.5。アジア最終予選は5チームずつの2グループに分かれていて、日本はB組の2位で第3代表決定戦に回ることになりました。
小倉 A組はイランと競っていたサウジアラビアが1位、日本のいたB組は韓国が1位で抜けて、第3代表決定戦で対戦するのはイランと日本でした。これも偶然と言えば偶然で、僕はマレーシアのクアラルンプールでやりたいと思って一生懸命電話したけれど、その日にマレーシアカップがあってクアラルンプールのスタジアムはどこも空いていなかった。ところが、マレーシアカップで先週負けたチームのスタジアムが空いているよと。それがジョホールバルでした。イランの会長にも電話しましたが、「マレーシアに行くのは問題ない」と。むしろ「バーレーンより全然いい」とまで言ってくれました。あとになって分かったことですが、これには宗教上の問題も関係していたのかもしれません。同じイスラム教でもサウジアラビアはスンニ派が多く、イランはシーア派の国。バーレーンは数の上では少数派のスンニ派が国の実権を握っていて、イランとは決して良好な関係ではなかったらしいんですね。

―そうして決まったジョホールバルで日本は初のW杯出場を決め、「ジョホールバルの歓喜」としてサッカーファンならだれもが知っている地名になりました。
小倉 すごくいい試合で、最後はゴールデンゴールで決着したんですが、イランの選手はゴールデンゴール方式に慣れていなかったんでしょうね。試合前に説明したとは言っていましたが、選手にうまく伝わっていなかったんだと思います。岡野選手のゴールが入ったとき、イランの選手はボールを取りに行って、センターサークルに置いて試合を続けようとしていたんです。僕はスタンドで試合を見ていましたが、ビックリしてすぐに下りていって、マッチコミッショナーを探したら、彼も気づいていてピッチに向かって「もうおしまいだよ」と。イランの選手はまだ残り時間があると思っていたんだと思います。翌朝、起きてビックリしたのは、隣のホテルに泊まっていたイランチームがもう練習をやっていたことです。第3代表決定戦に敗れたイランは1週間後に大陸間プレーオフが待っていました。ホーム&アウェー方式でオーストラリアと対戦し、イランが最後の切符をつかみました。

2002年W杯招致
降って湧いた日韓共催案

2002(平成14)年の日韓W杯。ロシア戦のスターティングメンバー

“ 妥協の産物としてひねり出されたのが共催だった。
 2002年大会の開催国を決める理事会の投票は96年6月1日にチューリッヒのFIFA本部で行われるはずだった。が、その前日の5月31日に無投票で共催は決まった。30日正午まで本当に予想だにしないことだった。
(中略)
 共催はそもそもFIFAの規約のどこにもない、ある意味で超法規的措置だった。アベランジェ会長が土壇場になれば豪腕を振るい、そういう横紙破りの提案は葬り去ってくれるとの期待をわれわれは持っていた。
 そういう自信が崩れたのが30日午後2時過ぎに、日本の招致団が泊まっていたホテルにかかってきた1本の電話からだった。岡野俊一郎さんにFIFAのブラッター事務局長から電話があり、「韓国から共催に同意するレターをもらった。日本はどうする?」と聞かれたのだ。
 招致団は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。”

(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第五章 2002年 日韓ワールドカップ開催より)

―著書では2002年W杯招致に関しても、日韓共催がいかにして決まったか詳細に書かれています。
小倉 我々がもらっていたW杯の趣意書には「一つの国の国境の範囲内」と書いてありました。「国境の中で行われる大会」だと。当時のアベランジェ会長にも何度も確認し、「書いてありますよね」と念を押しました。FIFAからは「これを曲げることはない」とも言われていた。ところが、6選を果たしたアベランジェ会長に対する反発は欧州を中心に広がり、2002年の招致合戦もFIFA内部の権力闘争に巻き込まれていました。UEFAのヨハンソン会長を中心とする反アベランジェ陣営からすれば、アベランジェ会長という後ろ盾を得て立候補した日本に勝たせるわけにはいかないとなり、妥協の産物として共催案が降って湧いたのです。

―W杯として初めての共催でしたが、2026年はすでにアメリカ、カナダ、メキシコの3か国共催が決まっています。さらに2022年のカタールW杯も出場国数を拡大し、近隣のオマーン、クウェートなどとの共催まで検討されています。大会がこれだけの規模になると、単独で開催できる国はほとんどないと考えたほうがいいのでしょうか。
小倉 ASEAN(東南アジア諸国連合)での共催というのも可能性として挙げられていますし、韓国の文在寅大統領は昨年のロシアW杯でFIFAのインファンティノ会長に日本、中国、韓国、北朝鮮の4か国共催を提案したとも言われています。オーストラリアも単独では難しいとなれば、ニュージーランドなど周辺諸国との共催を検討するかもしれません。単独でW杯を開催できるのは中国。あるいはインドが今後さらに経済的に発展し、サッカーがクリケット以上に盛んなスポーツとなってくれば、可能性がないとは言えません。単独開催できるとすれば、その2つしかない。出場国数が32か国から48か国に増えると、試合数も64試合から80試合に増えます。ドイツやスペインなど欧州の国であっても、周りの国の協力がない限り、1か月で80試合を消化するのは難しいのではないでしょうか。

―FIFAとしてはW杯の拡大は既定路線だったのでしょうか。
小倉 今のインファンティノ会長になってからはそういう方向性ですね。FIFAに加盟している国と地域は211。そのうちの48チームと考えれば、十分に現実的な大会だと現在の執行部は考えているのでしょう。UEFAは加盟55協会で、欧州選手権(EURO)には2016年大会から24か国が出場しています。もちろん、参加国が増えることによって大会の質が下がるのではないかという議論もあります。アジアカップも2019年大会から出場国が16から24に増え、当初はそうした懸念の声もありましたが、終わってみればベトナムやタイ、キルギスの躍進、健闘が際立つ大会となりました。ですから出場国を増やすことが一概に悪いことだとは言い切れない。全体の底上げ、レベルアップにつながるという見方もできるはずです。

 いずれにせよ、FIFAには本当の意味で世界規模の大会というのはW杯しかありません。一方でUEFAには欧州選手権もUEFAチャンピオンズリーグもあります。ナショナルチームとクラブチームでそれぞれ世界最高峰の大会があるんです。すでにFIFAは十分すぎる収入を得ていると思いますが、UEFAと比較すると、そういう側面もある。なのでW杯だけでなく、クラブW杯も2021年から拡大し、24チームが参加することを今年3月の評議会で承認しましたが、これには欧州のクラブが公然と反対しています。FIFAからすれば、まずはW杯を、というところでしょう。

FIFA会長も興奮して叫んだ
なでしこジャパンのW杯優勝

2011(平成23)年の女子W杯でなでしこジャパンが世界一に輝いた

“ 米国対なでしこの決勝戦、ブラッター会長は私を前の席に座らせた。そして「今日はいけるぞ」「日本が勝つよ」と私にささやく。ところが、試合は立ち上がりから米国ペース。すると会長は「準決勝の日本と全然違う。どうなっているんだ!」とまたまたおかんむり。ところが、25分くらいから日本のエンジンが掛かり出すと途端に機嫌が良くなり、隣にアベランジェ前会長がいてもお構いなしに「GO! GO!」と騒ぎだした。
 そんな調子だから、最後にPK戦で優勝が決まったときは「今日はオグラの日だ」と抱きつかんばかりに喜んだ。他の理事たちも「カップはオグラが渡せばいい」などと口にしては祝福してくれた。
 驚いたのは後日、米国のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト1面にまで、なでしこの勝利をたたえる記事が載ったことだ。知り合いの外務省のお役人も「すごいことですよ。日本の首相が訪米しても、こんな扱いされませんよ」と連絡してくれた。
 試合の中身が素晴らしかった。米国とのファイナルも含めて、佐々木則夫監督に率いられた選手たちは、クレバーなサッカーをやり続けた。それまでの女子サッカーの標準だったパワーとスピードの世界に「巧緻性」を持ち込んだというか。前年の男子のW杯南アフリカ大会でスペインが悲願の優勝を遂げた後だったこともあり、なでしこのスタイルは「女性版スペインのようであり、バルセロナのようだ」とたたえられた。北京五輪で悔しがっていたブラッター会長は「女子サッカーに革命を起こした」とまで言ってくれた。”

(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第六章 2011年 女子W杯ドイツ大会なでしこ優勝より)

―日本は2050年までにもう一度W杯を開催することを目指していますが、単独ではなく、共催も考えていかないといけないんでしょうか。
小倉 考えないとダメなんだろうなと思いますね。しかし、現在のように日韓関係が冷え込んでいる状況では不可能でしょう。北朝鮮も同じです。そう簡単にはいかないし、今後相当に考えていく必要があると思います。2050年なんて遠い先のようで、あっという間に来る。なかなか男子のW杯招致は難しいかもしれませんが、女子W杯の開催は2050年までに実現できると思いますし、実現しなければいけないと思います。

―日本は2023年に行われる女子W杯の開催国に立候補していますが、日本のほか、アルゼンチン、オーストラリア、ボリビア、ブラジル、コロンビア、韓国、ニュージーランド、南アフリカと過去最多の9か国が開催意思を表明しています。開催地は来年3月に決まりますが、激戦になりそうですね。
小倉 最大のライバルは韓国でしょう。韓国の提案書は北朝鮮との共同開催の可能性にも触れています。その点がどう受け止められるか。女子W杯は第1回大会と第5回大会が中国開催で、直近の3大会は欧州と北米。そろそろアジアに戻ってきてもいいと思いますし、立候補している中で唯一、チャンピオンになったことのある国が日本なんです。

今秋にも始まるカタールW杯予選
3か国共催ならアジア枠はどうなる?

森保ジャパンの世代交代を象徴するMF堂安律、MF南野拓実、MF中島翔哉の“三銃士”

“ 日本代表が勝つために、ピッチの外で貢献できたことの一つに年齢詐称との闘いがある。アンダーエージの世界大会にFIFAもUEFAも力を入れているのに、日本はなかなか出場できない。なぜ? 日本の弱さに原因もあったが、端的に相手の年齢詐称にやられるケースもあった。
 アンダーエージのアジア選手権は各国の選手団が一つのホテルに呉越同舟で泊まる。そうすると16歳以下、19歳以下の大会なのに、どうみても「おっさん」にしか見えない選手がいる。
 日本の監督や選手から「ホテルでご飯を食べていたら中東の選手に子供が何人も写っている写真を見せられた」と報告を受けたりした。ある大会で泣いて訴える選手に当時、U-16代表の監督だった田嶋幸三(現JFA会長)は「生きていく上で世の中には不条理なことがたくさんある。ここは我慢しろ」と諭すしかなかったそうだ。
 さすがにこれは看過できない。それでアジアサッカー連盟(AFC)の中で議論を重ねていたところ、マレーシアの裁判所がレントゲン検査で成人かどうかを判断しているという話を聞かされた。最初はその線で行こうとしたが、FIFAに持ち込んだら健常者にレントゲン検査をするのは米国や欧州が絶対に納得しないと却下された。そこから選手の骨年齢をMRIで測定し、年齢詐称を見抜く検査を導入するようにした。今ではアンダーエージのFIFAのあらゆる大会に採用されている。「宗教的にそのような検査は受けられない」と反対する国もあったが、ゲームの公正さを保つためだと押し切った。アンダーエージの大会で日本がアジアの壁を越えられるようになったのは、この検査導入の後である。”

(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第八章 黒いワールドカップ FIFAスキャンダルより)

―2022年のカタールW杯の出場国数は6月にも決まり、今年の秋にはアジア予選が始まると見られています。
小倉 もしも出場国が48か国に増え、試合数が64から80に拡大すれば、おそらく増えた分の16試合はカタール以外の国でやることになるでしょう。それがオマーン、クウェートなのかは分かりませんが、仮にアジアからの出場枠を「8.5」もらえたとして、3か国に開催国枠として出場権が与えられたらアジアの枠は「5.5」になる。共催が3か国ではなく、4か国、5か国だったら? ロシアW杯のアジア枠は「4.5」でしたが、そうなった場合、予選突破が楽になるどころか、より厳しくなります。

―アジアカップを見ても、アジア全体の成長は見逃せません。森保ジャパンにとってアジア予選は決して簡単な戦いにはならなそうですね。
小倉 東南アジアも中東もレベルが上がっています。でも、森保ジャパンを見ていると、若くて新しい選手が出てきたのは日本にとって非常にいいことだと思います。欧州でプレーする若い選手も増えましたし、Jリーグでもどんどん若い選手が育ってきています。その成果が森保ジャパンにつながっていけば、面白いチームが出来上がるのではないかと期待しています。先日のボリビア戦にしても、後半途中から中島翔哉選手、堂安律選手、南野拓実選手の3人が出てきて流れが変わりましたよね。旧態依然としたサッカーではなく、どんどん新しい選手が出てきて、どんどん新しいサッカーができるようになれば、日本はもっともっと成長して強くなれると思います。トルシエ監督のときも1999年のU-20世界ユース選手権で準優勝して、当時の若い選手たちがその後もシドニー五輪、日韓W杯で主力を担いました。森保監督はトルシエ監督以来の兼任監督ですから、同じようなことが起こるかもしれませんね。今年のU-20W杯、来年の東京五輪で活躍した選手がその後のA代表で中心となっていく。「令和」の時代にはそんな日本代表を見ていきたいですね。

(取材・構成 西山紘平)

<書籍概要>
■書名:「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた
■著者:小倉純二
■発行日:2019年4月13日(土)
■判型:新書版・288ページ
■価格:920円(税別)
■発行元:講談社
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▼目次
まえがき 平成とサッカー
第一章 平成の大事業 プロリーグを作る
第二章 平成前史「昭和サッカー」覚え書き
第三章 1993年 Jリーグ開幕とドーハの悲劇
第四章 1998年 仏W杯予選の舞台裏
第五章 2002年 日韓ワールドカップ開催
第六章 2011年 女子W杯ドイツ大会なでしこ優勝
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第八章 黒いワールドカップ FIFAスキャンダル
第九章 平成サッカー人からの遺言状
あとがき
年表 日本サッカー平成時代の歩み

甲府MF佐藤和弘が靭帯損傷で離脱へMF佐藤和弘の検査結果が判明

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MF佐藤和弘の検査結果が判明
[故障者情報]

 ヴァンフォーレ甲府は15日、MF佐藤和弘が検査の結果、左膝内側側副靭帯損傷で全治約6週間と診断されたことを発表した。7日に行った町田戦の前半途中に負傷交代していた。同選手は今季、町田戦まで開幕から全試合に出場していた。

★日程や順位表、得点ランキングをチェック!!
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[関東大会予選]競り合い勝負挑み、昨年3敗の前回王者にリベンジ!公立校の浦和東が埼玉8強進出! 後半10分、浦和東高MF伊藤大賀(左)が直接FKを決めて2-0

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後半10分、浦和東高MF伊藤大賀(左)が直接FKを決めて2-0
[4.14 関東大会埼玉県予選2回戦 成徳深谷高 0-2 浦和東高 昌平高G]


 浦和東が前回王者撃破! 平成31年度関東高校サッカー大会埼玉県予選2回戦が14日に行われ、昨年度優勝の成徳深谷高浦和東高が対戦。浦和東が2-0で勝った。浦和東は準々決勝で正智深谷高と対戦する。

 公立校の浦和東が成徳深谷にリベンジだ。昨年、浦和東は県リーグ戦2試合と県新人戦準決勝で成徳深谷と対戦し、全て敗れていた。昨年はボールゲームではなく、ロングボール、競り合い勝負を挑んだが、県内2冠を達成した成徳深谷の強さの前に跳ね返された。今回は「ウチの方がヘディングとか優位かなと。今年もう一回(競り合いバトルで)勝負しようと思いました」と平尾信之監督が説明したように、競り合い、セットプレー勝負に出た浦和東がセットプレーからの2発で勝利した。

 試合は序盤から成徳深谷が押し込む展開に。浦和東は警戒していた背後への対応が乱れ、苦しい時間帯が続いた。それでも粘り強い守備で0-0を維持する。そして前半22分、浦和東は昨年から準備していたという“飛び道具”左SB本間大翔(3年)の右ロングスローからこぼれ球を10番FW古澤将吾(2年)が反転シュート。これが決まり、先制した。

 成徳深谷は0-1の後半7分、左足キックとロングスローが武器のDF櫻井空良(3年)を投入。同点を狙うが、浦和東は直後に貴重な2点目を奪う。後半10分、左足の精度を期待されて起用されているMF伊藤大賀(3年)が右中間から左足FKを直接決めて2-0。さらに優位な状況とした。

 成徳深谷はエースMF北原港(3年)とFW間中実来(3年)とのコンビネーションや櫻井のセットプレーなどから反撃。こぼれ球に反応したMF渋澤拓海(3年)の左足ミドルがゴールを襲うも、浦和東はシュートコースを塞いで得点を許さない。

 浦和東で特に光ったのは186cmの大型CB松本ケンチザンガ(3年)とゲーム主将のCB安食龍成(3年)のCBコンビだ。成徳深谷に再三ゴール前のシーンを作られていたものの、高さとひざ下の長さを活かして止めて、跳ね返す松本とカバーリングの広さが特長の安食が成徳深谷の反撃を封じ続ける。

 2人とも元々はボランチ。だが、明らかな特長のある松本と「CBで最近ファン・ダイク選手にハマっているので、CBでやることが楽しいです。先生とかにも言われているんですけれども、カバーで結構取れるのでカバーを持ち味にしていきたいです」という安食、そしてGK川村龍世(2年)を中心とした浦和東の堅守は最後まで崩れなかった。

 終盤、カウンター攻撃で逆に決定機を作った浦和東は、平尾監督の言う「マジメにみんなで声出し合って、カバーし合って戦う」自分たちらしさ、公立校らしさを出し切って2-0勝利。埼玉の頂点に挑戦する公立校が前回王者を突破した。

 昨年の敗戦をピッチで経験している安食は「昨年の悔しい思いがあったので、きょうの試合は絶対に勝ちたいとみんな言っていて、みんな気持ち強い状態で試合に入れたし、最後スライディングとかしてみんなで勝てたので良かったです」と喜んだ。今年のチームは良い試合をしても1つのミスから敗れてきたというが、それも改善されてきている。 

 浦和東の目標は、まず目の前の大会で関東大会出場権を獲得し、優勝すること。安食は「声とか球際とかそういうところで負けないように球際では絶対に勝ちたいです」。今後も自分たちの武器で戦い、まだまだ上を目指していく。

(取材・文 吉田太郎)

[関東]中大、順大、明大が2連勝!王者早大は連敗スタート:第2節順天堂大ら3校が連勝発進を決めた

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順天堂大ら3校が連勝発進を決めた
 JR東日本カップ2019 第93回関東大学サッカーリーグ戦の第2節が13日と14日に行われた。首位に立ったのは中央大専修大と対戦すると、前半4分にCKからDF安部崇士(4年=桐光学園高)がヘディングで決めて先制。同44分にはMF大久保智明(3年=東京Vユース)の2試合連続となる今季3点目で突き放した。

 同じく連勝発進を決めたのが順天堂大明治大流通経済大と対戦した順大は、前半38分にオウンゴールによって先制。後半4分にMF長倉幹樹(2年=浦和ユース)のゴールで突き放すと、流経大の反撃を1点に凌いだ。明大は主将FW佐藤亮(4年=FC東京U-18)のゴールで東洋大に1-0で勝利した。

 前年覇者の早稲田大法政大に0-1で敗戦。前半22分にU-23日本代表FW上田綺世(3年=鹿島学園高)に許したゴールが決勝点になった。早大は開幕戦に続く連敗で最下位に沈んだ。

 次週は天皇杯予選のためにリーグ戦は中断。第3節は27日と28日に実施される。

順天堂大 2-1 流通経済大
[順]オウンゴ-ル(38分)、長倉幹樹(49分)
[流]菊地泰智(82分)

専修大 0-2 中央大
[中]安部崇士(4分)、大久保智明(44分)

駒澤大 2-1 立正大
[駒]薬真寺孝弥(61分)、真下瑞都(67分)
[立]平松昇(8分)

早稲田大 0-1 法政大
[法]上田綺世(22分)

明治大 1-0 東洋大
[明]佐藤亮(78分)

筑波大 2-2 桐蔭横浜大
[筑]犬飼翔洋(79分)、加藤匠人(90分+3)
[桐]下村司(27分)、遠藤凌(57分)

●第93回関東大学L特集

[MOM2644]浦和東DF松本ケンチザンガ(3年)_02年生まれ世代の186cmCBが前回王者を完封! 浦和東高CB松本ケンチザンガは完封勝利に貢献

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浦和東高CB松本ケンチザンガは完封勝利に貢献
[高校サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[4.14 関東大会埼玉県予選2回戦 成徳深谷高 0-2 浦和東高 昌平高G]

 前回王者・成徳深谷高の前に“浦和東の松ケン”が立ちはだかった。浦和東高CB松本ケンチザンガ(3年)は、コンゴ共和国にルーツを持つ186cmの大型CB。これまでは主にボランチとしてプレーしてきたが、今年は最終ラインの中央でその高さを発揮している。

「先生にセットプレーだけは絶対にやられるなと言われていた」この日は成徳深谷に序盤から押し込まれ、セットプレーを与えるシーンが増えた。だが、競り合いの強さが特長の成徳深谷相手に松本は怯まずに戦い、それを弾き返していく。

 最終ラインの中央でコンビを組むCB安食龍成(3年)もヘディングの強さが特長の選手だが、「きょうは松ケンに全部ヘディング取られて1本くらいしか競れなかった」と苦笑い。松本はカバーリングの良い安食のサポートも受けながら競り続けて2-0での勝利に貢献した。

「(自分の特長は)高さとか足の長さとかだと思うので、競り合いとか期待されている部分では負けないようにやっていきたい」という松本は、ひざ下の長さを活かした対人守備も特長だ。平尾信之監督は「他の日本人と1対1の間が違う」と説明していたが、この日も彼は独特の間で足を伸ばし、仕掛けてくる相手からボールを奪い取っていた。

 本人はボランチの経験がCBで活きていると感じていた。大柄だが、足が良く動き、右足のキックも比較的安定。普段見る動画もフランス代表MFポール・ポグバが多いという。CBとしては、繊細な部分などまだまだ課題はある。それでも、明るい性格でもチームを支える大型CBのこれからの成長に期待だ。

 恵まれた身体があるだけに、上のステージまで勝ち上がれば注目を集めることになるだろう。だが、本人は「注目されても自分でできることを変えずにやれることをやりたいと思っています」ときっぱり。将来の目標を「プロサッカー選手になれたらいい」と語る02年早生まれ(19年U-17ワールドカップ世代)の大型プレーヤーが今年、結果を残してアピールする。

(取材・文 吉田太郎)

YS横浜に電撃加入の国士舘大FW田場ディエゴ「サッカーを辞めようと考えたこともあった」YS横浜への加入が決まったFW田場ディエゴ

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YS横浜への加入が決まったFW田場ディエゴ
 国士舘大のFW田場ディエゴが12日に自身のツイッター(@tdiegool)を更新し、YS横浜への加入決定に際してコメントしている。

 YS横浜は同日に田場の加入を発表。現在は移籍ウインドーが閉じているため、7月19日のウィンドーのオープンに合わせ、登録手続きを行うとした。

 田場は日大藤沢高(神奈川)時代に“日藤のマラドーナ”として注目を集め、第93回全国高校選手権でチームのベスト4進出に貢献。大会優秀選手36名の1人にも選ばれた。

 加入発表時にクラブ公式サイト上で挨拶していた田場は、ツイッターでも「サッカーを辞めようと考えた時期もありましたが縁あって地元神奈川のYSCCに入団することになりました」と、負傷に苦しんだ大学時代を振り返りつつ、ファンに報告。「サッカーを続けてよかったと思えるよう結果を出したいです」と抱負を語っている。

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[なでしこリーグ杯]初戦黒星の日テレ、代表組復帰で6発大勝:第2節

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 なでしこリーグカップの第2節が13日と14日に行われた。グループAは日テレ・ベレーザは日体大FIELDS横浜に6-0で勝利。開幕節はAC長野パルセイロ・レディースに0-3で敗れていたが、9選手が招集されていた日本女子代表(なでしこジャパン)の欧州遠征からメンバーが復帰すると、さすがの大勝劇をみせた。

 グループBではINAC神戸レオネッサがジェフユナイテッド市原・千葉レディースに1-0で勝利。2連勝で首位に立っている。

 なでしこリーグは20日よりリーグ戦を再開。リーグ杯の第3節は5月25日と26日に行う。

▽A組
ノジマ 2-1 新潟L [ギオンス]
[ノ]大野忍(81分)、田中陽子(90分+3)
[新]上尾野辺めぐみ(41分)

F日体大 0-6 日テレ [ニッパツ]
[日]籾木結花(27分)、田中美南3(45分+1、48分、89分)、菅野奏音2(54分、64分)

▽B組
ジェフL 0-1 I神戸 [フクアリ]
[I]岩渕真奈(16分)

伊賀FC 1-1 浦和L [上野]
[伊]松久保明梨(80分)
[浦]長船加奈(68分)

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中島翔哉が前節のうっぷん晴らすダメ押しアシスト(4枚)リーグ戦7試合連続スタメンのMF中島翔哉はフル出場

終盤に仕留めた浦和が3戦ぶり白星! G大阪はホーム開幕4連敗(12枚)リーグ戦3試合ぶりの白星を手にした浦和

「もめていることに気付かなかった」浦和エヴェルトンは初得点に無我夢中(4枚)後半42分に決勝点を挙げたMFエヴェルトン

宮市亮に新たな武器?今季4得点が全て同じ部位に(6枚)今季4ゴール目を挙げたFW宮市亮


最も走ったチーム&選手は…J1第7節の走行距離発表FC東京が鹿島アントラーズを3-1で下した

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FC東京が鹿島アントラーズを3-1で下した
 4月13、14日に行われたJ1第7節における選手の走行距離などのトラッキングシステムによるデータが発表になった。

 第7節で最も走行距離が長かったチームはサンフレッチェ広島で121.106km、2位は大分トリニータで120.841km、3位は横浜F・マリノスで120.654km。逆に最も短かったのは、浦和レッズで106.802kmだった。

 選手別の走行距離では、1位が広島のMF松本泰志で13.180km。2位は広島のMF野津田岳人で13.125km、3位は広島のMF川辺駿で13.107kmとなり、広島の選手がトップ3を独占した。

 また、スプリント回数(時速24km/h以上)を見ると、最も多かったチームは横浜FMで234回、2位は松本山雅FCで209回、3位は名古屋グランパスで207回。選手別では、名古屋のDF宮原和也の40回が最も多く、2位は横浜FMのFWマルコス・ジュニオールの38回、3位は松本のFW前田大然の34回だった。

■以下、第7節の各チームの総走行距離
4月13日(土)
C大阪(113.201km) 0-1 札幌(117.950km)
横浜FM(120.654km) 1-1 名古屋(115.143km)
4月14日(日)
FC東京(111.809km) 3-1 鹿島(109.192km)
鳥栖(117.231km) 0-1 川崎F(110.956km)
磐田(115.425km) 1-2 清水(112.611km)
G大阪(109.733km) 0-1 浦和(106.802km)
神戸(110.513km) 2-4 広島(121.106km)
大分(120.841km) 2-0 仙台(116.136km)
湘南(117.865km) 1-1 松本(117.099km)

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横浜FM朴一圭が右眼窩内側壁骨折で全治3週間横浜F・マリノスGK朴一圭

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横浜F・マリノスGK朴一圭
 横浜F・マリノスは15日、13日に開催されたJ1リーグ第7節名古屋戦で負傷したGK朴一圭(パク・イルギュ)が、川崎しないの病院で検査を受けて右眼窩内側壁骨折と診断されたと発表した。なお、全治までは3週間の見込みと併せて発表されている。

 今季、琉球から横浜FMに加入した朴はJ1リーグ第5節鳥栖戦でJ1デビューを飾ると、その後も先発出場を続けていた。

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「並外れていた」中で「ハイライトはイトウ」…存在感高める伊東をベルギーメディアが絶賛ゲンクFW伊東純也

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ゲンクFW伊東純也
 14日に行われたベルギー・リーグPO1第4節でクラブ・ブルージュと対戦したFW伊東純也が所属するゲンクは3-1の勝利を収めた。この日の伊東の活躍を、ベルギーメディア『voetbalnieuws』が伝えている。

 勝ち点1差で迎えた首位攻防戦。前半13分にFWレアンドロ・トロサールの豪快なミドルシュートで先手を打った首位ゲンクだが、同36分にPKを沈められて同点に追い付かれてしまう。しかし、後半10分にMFルスラン・マリノフスキーがPKを沈めて再びリードを奪うと、同35分に伊東が大きな仕事をやってのける。

 右サイドでボールを受けると、対面した相手を一瞬の加速で置き去りにし、正確なクロスでFWムブワナ・サマッタのダメ押しゴールをお膳立て。2連勝を飾ったゲンクは首位をキープしている。

『voetbalnieuws』は「チーム全体として素晴らしいパフォーマンスを見せたゲンクだが数人の選手は並外れていた」と個人名を挙げて称賛。「キャプテン就任以降、もっとも力強いパフォーマンスを見せた」と先制点を奪ったトロサール、「中盤で素晴らしい活躍をした」と2点目を決めたマリノフスキーとともに、伊東の名前を挙げている。

「しかし、今日のハイライトの中心はイトウジュンヤだろう。この日本人はプレーオフに入ってからセンセーションを巻き起こしており、今日もその実力を発揮した」とレギュラーシーズン終盤から先発の座を奪い取り、結果を残す伊東に賛辞を送っている。

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[関東大会予選]浦和東は期待の2年生10番FW古澤が先制点! 「今日こそはという気持ちがありました」浦和東高10番FW古澤将吾が前線でボールをキープ

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浦和東高10番FW古澤将吾が前線でボールをキープ
[4.14 関東大会埼玉県予選2回戦 成徳深谷高 0-2 浦和東高 昌平高G]

 浦和東高は期待の10番FW古澤将吾(2年)が先制点を叩き出した。前半22分、右ロングスローのこぼれ球から、「自分が競るところだったんですけれども、越えて振り返ったらこぼれていたので押し込みました」と左足でゴール。前日の1回戦は無得点に終わっていただけに「今日こそはという気持ちがありました。嬉しかったです」と素直に喜んでいた。

 181cmの長身を活かして前線で競る部分と決定力が武器。この日は前線で競り合いの強さを発揮し、不利な体勢から身体を入れ替えてマイボールにするようなシーンもあった。C.A アレグレ(埼玉)に所属していた中学時代は「全然試合に出ていなくて、(私立の強豪校から)声もかからなかった」というFWが浦和東進学後に決定力を磨き、1年生チーム、Aチームで結果を残して、今や2年生ながら強豪の10番を背負っている。

 本人が予想もしていなかったという10番は、期待の現れだ。平尾信之監督は「戦えるし、決定力もあるし、人間的に取り組む姿勢も素晴らしい」と下級生に10番を与えた理由を説明する。強みをより発揮できるようになること、そして精度の部分など課題もあるが、本人は何より10番の責任を果たすために結果にこだわるつもりでいる。

 憧れの存在は「決定力もあるし、爆発的なスピードや身体能力がある」という理由でベルギー代表FWロメル・ルカク。今後も続く重要な試合で、目標とするエースストライカーのようにゴールを決め続けて、期待に応える。

(取材・文 吉田太郎)

ホームで完敗の神戸…ポドルスキは“慣れない環境”に戸惑う?「あれはヨーロッパの選手にはあまり…」負傷から2試合ぶりに復帰した神戸FWルーカス・ポドルスキ

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負傷から2試合ぶりに復帰した神戸FWルーカス・ポドルスキ
[4.14 J1第7節 神戸2-4広島 ノエスタ]

 ヴィッセル神戸は14日、J1第7節でサンフレッチェ広島をホームに迎え、2-4で逆転負けを喫した。今季最多4失点で初の連敗。キャプテンを務めるFWルーカス・ポドルスキの試合後コメントをJリーグ公式サイトが伝えている。

 ポドルスキは前節・松本戦(1-2)を負傷で回避し、2試合ぶりに復帰。チームはFWウェリントンとFW古橋亨梧のゴールで前半を2-1で折り返したが、後半20分から同28分までに3ゴールを許し、2-4とスコアをひっくり返された。

 元ドイツ代表FWは後半の戦いについて、「前半に限らず後半も自分たちのリズムでプレーできていたと思う。ただ、10分の間に3点を取られ、自分たちもチャンスを着実に決め切れずに進んだことで罰を受けたような試合になってしまった」と振り返っている。

 また、試合会場となったノエビアスタジアム神戸は開閉式の屋根となっており、当日は屋根を閉めてゲームが行われた。ポドルスキは「もちろん言い訳にはならないが、屋根が閉まっていたのはヨーロッパの選手にはあまり……(慣れていない)」と違和感があったことを明かしている。

 ただ、「それ以外は基本的に自分のコンディションは良くなり、ケガももちろん問題ない。90分できる確認になったし、そこは良かったですね」と、自身の状態については満足感を示した。神戸の次節は20日に行われ、埼玉スタジアムで浦和と対決する。

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